活動も最後に差し掛かり、最近は失敗した人生やり直せたらの妄想ばっか
してしまうのだが、学生時代に戻った場合、いの一番にやることは、意味の無いを
通り越した、むしろ有害な友人との縁を速攻で切る、または出会わないようにするのが
第一だと感じる。
人との繋がりは良くも悪くも一番重要で、デメリットのデカい相手を切れず
ダラダラ付き合うのが一番の無駄なリソースである。結果的にお互いが不幸でもある。
思い返すとおそらく、やり直しした場合、過去の知人たちの大半とはもう
付き合わない事は間違いない。てゆーかむしろ、この人とはまた出会おうと思える人は
皆無である。これがもう、今世の失敗を明確に表しているという。
今後の教訓となった相手はいたが、ほぼ反面教師と、こういう類いの人間とは
付き合ってはいけないという、負の側面が殆どである。人との付き合いは必ず
衝突を生むが、その衝突に成長性が含まれない。単なる不愉快どうしの軋轢である。
大小問わず、必ず出会いには意味があると思っているのだが、プラス(成長)の面での
意味の有った知人がいない。それがつまり、進む道の選択肢を誤り続けてきた証だと
思っている。成功には、才能・運・人(「人脈」ではない)が必要だが、この時点で
3分の1欠落してたのが私。よく運も実力のうちって言うけど、私に言わせれば
運「は」実力のうち、です。ここぞという時に追い風を吹かせられることを実力と
言わずして何というのだろう。
運に関しては、そこそこチャンスがあったのは確かだが、そこを的確に掴む
才能は無かった。まぁそれ以前に進む方向を間違えていたので、掴んでいたとして
活かせていたかは甚だ疑問ではある。
で、「人」に関しても、気付いていなかっただけで、きっとお互いが高めあえるような
相手は近くにいたと思う。ただ道を間違えていたため(見えてなかったとも言う)
出会えず、気付けなかったのだろう。自分の失敗の原因は8割方把握できている
からこそ、やり直したくての妄想が辞められん。
1つの失敗に気付く度、原因追及をするのだが、何時も必ず時間的に2歩遅い。
1歩ならまだギリギリ取り返せるかなと思えるのだが、2歩だと、気付く度にどんどん
遅れて行って結果取り返しのつかない今現在に至る。
でもね、コレは嘘。失敗に関しては大体途中で「この流れは違う」と気付く。
ただ損切りが出来ずにより損するおバカなだけ。
一番酷かった漫画家志望に関しては、20前半にはもう「なりたくない」という気持ちには
とっくに気付いていたのに、そこをひっくり返すと、取り返しのつかないほど後退する
全てを否定することになるという恐れから、気付いてない振りをしていた。
実際は後退どころかそこがスタート地点だったのにね‥‥
本音からの逃げ、は見るべきものを見えなくする。最悪の悪手。一番の後退。
ああ、やり直したい、妄想が止められねぇ‥